日本には長らく文壇とよばれた社会があった。いわゆる文学者たちによって構成される村社会である。誰が意図的に作ったというわけではなく、自然発生的にできあがったものである。文壇は隠然たる力をもっていた。文壇に認められないとはすなわち文学者として生きていけないことでもあった。 それでは誰が文壇を仕切っていたかというと、特定の人が権力をもって牛耳っていたというわけではない。ある意味、鵺(ぬえ)みたいな社会かもしれない。厳然たる支配者はいないけれど、文壇には大御所なるものはいた。川端康成・志賀直哉などは大御所の最たるものであった。ただ、川端にしろ志賀にしろ、自分で文壇の大御所になろうなどと思ったわけではない。回りが大御所に仕立てあげたのである。理由はやはり彼らの書く作品が誰もが認めるすぐれたものであったからである。 川端・志賀以外にも文壇の大御所と呼ばれた人はいる。その1人が佐藤春夫である。佐藤には門弟が3000人もいたという。太宰治もその1人であったらしい。 佐藤は慶応大学を中退している。永井荷風に師事し、そして長いこと三田文学に対しては強い影響力をもっていた。三田文学から文壇にデビューした江藤淳は、デビュー間もない頃書いた「永井荷風論」を佐藤から激賞された。江藤は大学で文学論の授業をしているとき、よく佐藤春夫の口真似をした。 私は小説を読み始めた頃、川端康成・志賀直哉が文壇の大御所と呼ばれることには納得したが、佐藤春夫が大御所だといわれても腑に落ちなかった。佐藤の書いた小説といえば「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」ぐらいしか知らなかったからだ。私は佐藤は小説家というより詩人だと思っていた。あの<さんま、さんま、さんま苦いか 塩つぱいか>はあまりにも有名である。 私は「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」を読んでみた。ほとんど理解できず、何も感じなかったといってよい。私には佐藤春夫は詩人として存在していた。
30年振りかで「田園の憂鬱」を読み返した。読んだあとたいへん不思議な小説であると感じた。同時に詩人らしく繊細な文章だとも思った。 この小説には物語らしいものは何もない。青年とその妻が2匹の犬と1匹の猫を伴なって東京の郊外の田舎に引っ越してくる。住む家は農家の一軒屋である。かなり傷んでいたが、何とか内装をほどこして住めるようにした。家の回りは田んぼ・畑・林で囲まれている。田園地帯の真っ只中である。 青年は都会を捨ててきた。彼は何とか田園で生きようとするが、元女優の妻は都会へ帰りたがる。2人の過去はほとんど語られない。作品全体を通して語られるのは自然であり、青年の孤独・倦怠・憂鬱・懊悩である。彼がなぜ苦しむのかもよくわからない。ある意味青年は発狂寸前であったのかもしれない。緊張感漂う文章によって、青年の感性が研ぎ澄まされているのがよくわかる。 青年は自分で植えた薔薇(そうび、バラのこと)に異常と思えるほどに関心を示す。自分の存在と薔薇の存在が一体化したようだ。薔薇は青年の存在を象徴しているのかもしれない。 <おお、薔薇、汝病めり!>と何度となく口ずさんで、一応物語は終わる。
人は若いとき、理由もなくもがき苦しむことがある。「田園の憂鬱」は若い人間が陥る普遍的な憂鬱な状況を描いた青春小説といえるかもしれない。青年が悩む。これは自然の摂理である。 病んでいる青年にとっては、あの美しいバラも病んで見えるのだと、壮年になった私は実感した。
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