古典落語に「王子の狐」という落語がある。王子にある扇屋という料理屋が舞台で、王子の狐が人間に化かされるという噺である。この扇屋は現在も営業を続けている。 幕末の1865年、この扇屋と思しき料理屋で昼食をとった西洋人がいた。その西洋人とはトロイア遺跡の発掘で有名になったシュリーマンである。あのシュリーマンが幕末の日本を訪問していたのである。この事実を知っている人はどれだけいるのだろうか。シュリーマンはトロイア遺跡発掘の6年前、世界一周旅行を行い途中清国・日本に立ち寄った。そのときの見聞記が「シュリーマン旅行記 清国・日本」(石井和子訳、講談社学術文庫)である。この書は幕末の日本を知る上で一級資料であることは間違いない。 シュリーマンは1865年の夏の1ヶ月の間だけ日本に滞在するのだが、考古学者であり探検家らしく精力的に江戸並びに江戸周辺をみて廻る。 ある1日、シュリーマンは王子に出向き、予約していた扇屋と思しき料理屋で昼食をとる。そのメニューは、ご飯・刺身・煮魚・大海老・海藻類・筍・固茹卵で、冷たいお酒もでた。料金は6分(15フラン)であった。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」はシュリーマンが日本を離れてアメリカに向かう船の中で書かれたものである。原文はフランス語で書かれている。シュリーマンは1865年5月に清国を訪れ万里の長城を見てそして6月に日本の横浜に着いた。 シュリーマンは日本にいる外国人の伝手(つて)をたよって江戸の町を見ることができた。時は尊王攘夷運動の真最中である。いつ刺客に襲われてもおかしくないときであった。4年前にはアメリカ公使館のヒュースケンが刺客に襲われ惨殺されていた。 シュリーマンが訪れたのは横浜・八王子・江戸で、江戸ではアメリカ公使館宿館である麻布善福寺を拠点に江戸の町を散策している。 シュリーマンが見た日本の印象はどうであったのだろうか。シュリーマンは好意的に日本のことを記している。それは清国に対して好印象を得ていないことと対照的である。いくつかの印象を挙げてみる。
<主食は米で、日本人にはまだ知られていないパンの代わりをしている。日本の米はとても質が良く、カロライナ米よりもよほど優れている> <ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要でないし、それらが便利だと思うのは慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。もし、正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござ(注:畳のこと)を用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう> <田園はいたるところさわかな風景が広がっていた。高い丘の頂からの眺めはよりいっそう素晴らしいものだった> <ここでは君主がすべてであり、労働者階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地が見られる>
シュリーマンは日本が封建社会であることを認め、目付けの存在などつねにお上がいたるところに目を光らしている実態も述べている。それでも日本はまれに見る平和な国であり、日本人の知的程度が高いことをみてとった。シュリーマンの日本を見る目はたいへん温かいものである。 シュリーマンは横浜において将軍家茂が京都に上るときの大行列をたまたまみることができた。たいへんぎょうぎょうしい行列でその見聞も興味深いものである。普通の歴史書では経験できない興奮が沸き起こる。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」は私たち日本人が知ってはっとするようなことがたくさん書かれている。 歴史好きにはたまらない本である。 |