島崎藤村は昭和18年の夏、大磯の別宅で永眠した。戦争も敗色が濃くなりつつあるときであったが、藤村は安らかに人生を終えたのである。この大磯の別宅は現存している。この家はもともと藤村が別荘として借りたものらしい。 私はこの落ち着いたたたずまいをみせる日本家屋を見て、ひとしお感慨にひたった。藤村の一生を振り返ると、その波乱万丈ともいえる人生と静かな海辺の別荘とがあまりにも対照的であったからだ。 「破戒」で文壇に確固たる地位を築いた藤村は旺盛な創作力で次々と傑作を生み出し、いつしか文豪と呼ばれるようになった。だが、創作の裏側で、藤村並びに藤村の親族の身の上に起こる不幸は藤村を苦しめた。藤村は火宅のなかで耐えて生き抜いた作家ともいえる。 藤村の作品は私小説的な作品が多いが、「家」はその中で最も代表的なものであろう。「家」の中に出てくる登場人物はすべて実在の人物がモデルである。しかし、この作品は作者と主人公が同一化し、その人の目を通してすべてを語る純粋なる私小説ではない。あくまでも作者と登場人物とが一定の距離を保って描写される。藤村の作品のほとんどはこの型のものである。
「家」の主人公は藤村がモデルである小泉三吉である。物語は三吉が文学でもって身をたてようと思い始めた20代半ばから、10年近くたった30代半ばまでを扱っている。 信州の名家である小泉家は当主の忠寛が狂死して、長男実、次男森彦、三男宗蔵そして三吉に長女のお種が残された。お種は橋本家へと嫁ぐ。 小泉家は忠寛亡きあと東京へと移る。「家」では小泉家の人たちと橋本家に起こった不幸・不条理がこれでもかというくらいに描写されている。実は事業に手を出して失敗し、多額の借金をして2度も獄につながれた。獄から解放された実は年老いた身に鞭を打って満州へと仕事を求めに行く。宗蔵は若い頃の遊蕩で悪い病気にかかり不具の身になっていた。 お種が嫁いだ橋本家は昔は大きな薬種問屋であったが、今は落ちぶれて没落への道を歩んでいた。橋本家の当主であるお種の亭主の達雄は温厚な人物であったが、女にだらしなく、もう老人といってよいほどなのに有り金すべてを持ち出して新橋の芸者を身請けして、2人で関西へと駆け落ちした。お種は捨てられた恰好になった。 お種と達雄の間にできた長男が正太である。正太は橋本の家を継がず相場師となるが、借金をかかえて失敗する。おまけに達雄と似て、女にだらしなくお豊世という妻がいるのにいろいろな女と関係をもった。正太は生活の疲れか放蕩のためか結核になり、人生の敗北者となって若くして死んでいく。 正太は三吉の甥とはいえ、三吉とは3つ違いである。正太は心底三吉を慕っていた。今回「家」を読み直して、私は正太のことを非常に印象深く思った。ある意味、正太は「家」の影の主人公ともいえる。 三吉の身にもたいへんな不幸が襲う。三吉は結婚して3人の女の子の親となったが、その3人の女の子はすべて幼くして死んでしまう。 「家」は世の中の不幸を一身に背負った一族の物語ともいえる。
「家」に描かれている不幸の数々は藤村の生きた明治時代でも特異であったに違いないが、私は素直に受け入れることができた。それは不幸の中にあっても、大地に根を張って生き抜こうとする人間の生々しい姿が抑制のきいた文体で描かれているからだろう。 苦しんで生き抜く。これも人生の1つの側面であると「家」を読んで私は再認識した。 |