明治の世になって、日本人は海外に出ていくようになった。欧米人にとっては開国して間もない日本は未知の国というよりも野蛮の国であった。ところが、日本人に出会った多くの欧米人は日本人が礼儀正しく倫理感が強いことに驚いた。欧米人の道徳・倫理感はキリスト教が土台となっており、宗教のないところに道徳・倫理感は育たないと思われていた。日本にはキリスト教のような土台となる宗教はなかったのである。欧米人は疑問に思った。 この疑問に答えたのが新渡戸稲造の「武士道」であった。この本は英語で書かれた。日本にはキリスト教のような宗教はないが、それに代わって武士道があると新渡戸は主張した。新渡戸は武士道について詳しく解説をした。「武士道」は欧米においてベストセラーになった。
杉本鉞子著「武士の娘」はさしずめ武士の娘が書いた武士道についての本といえるかもしれない。この本も英語で書かれ、欧米でベストセラーになった。ただ、「武士の娘」は「武士道」とは違い、自伝的要素の強い本である。著者杉本鉞子の生きた人生を振り返ることで武士の精神とは何かが浮き上がってくるのである。
「武士の娘」は大岩美代によって日本語に翻訳されている。私はこの翻訳を読んでその日本文の美しさに感動した。本当にすばらしい日本語である。読んでいてたいへん気持ちがよかった。訳者の大岩美代の文章能力の高さに加えて、やはり杉本自身が教養が深くそして日本文の達人であったからであろう。すばらしい英語を書くためにはやはりすばらしい日本語が書けなければならないという典型的な例である。
杉本鉞子は1873(明治6)年、越後長岡藩の家老稲垣家の娘として生まれた。長岡藩は戊辰戦争で朝敵となり、官軍に猛攻撃されそして制圧された。その負けっぷりは悲惨の極みであった。鉞子の父親は家老であったために官軍の囚われの身となり処刑されるところであったが、一命はとりとめた。稲垣家は没落した武士の家として明治の世を過ごした。だが、形は没落したが武士の家としての精神は脈々として明治になっても受け継がれた。そんな中で鉞子は育つのである。
「武士の娘」にはエツ子の子供時代からアメリカでの結婚生活そして日本に帰ったときのことが時系列的に書かれている。自伝的に書かれた随筆といってもよい。鉞子はアメリカで商売をしている兄の友人の杉本松雄に嫁ぐ。
「武士の娘」は家族・使用人・アメリカの「母上」そして鉞子の2人の娘などエツ子の側にいた人たちとの交流が中心に書かれている。
鉞子の家は明治になっても武士のしきたりはそのままに残り、鉞子は武士の娘として恥ずかしくないように育てられた。鉞子の姉が嫁ぐとき、母親が姉に言った次の言葉が武士の娘とは何かを端的に表している。
<毎日、この鏡をごらんなさい。もし心に我儘や勝気があれば、必ず顔に表れるものです。よっくごらんなさい。松のように強く、竹のようにもの柔らかに素直で、しかも雪に咲きほこる梅のように、女の操をお守りなさい。>
鉞子の人生は上に述べた母親の言葉通りであった。芯が強く思いやりがあり、決して利己的でないエツ子の性格が行間から滲み出てくる。
「武士の娘」には言い伝えや風習などについての話がいろいろとでてくる。どれも興味深いものである。鬼子母神や姥捨て山の話はとくに印象に残った。「武士の娘」には古きよき日本の面影がたくさん出てくる。とてもなつかしくなる。
「武士」というとたいへ堅苦しいものに感じられるが、「武士の娘」を読むと、武士の生き方とはたいへん美しい生き方に思えてくる。現代の日本人が置き忘れてきた人間として本当に大事なことが「武士の娘」には詰まっているように思われた。その人間として大事なことが欧米人の共感を誘ったのであろう。「武士の娘」が欧米でベストセラーになったのも頷ける。 |