仏像を見るといつもあのえもいわれぬ温かな微笑はどこからくるのだろうかと思う。それこそ慈悲の心からくるのだろうか。仏像の目もやさしい。あの目も慈悲の心からくるのか。 仏像の微笑のすばらしさに気づいたのは中学校の修学旅行で奈良に行ったときだ。法隆寺を見たあと、素朴な農村地帯を通って中宮寺に行った。そこで観音像を見た。その観音像の微笑に魅せられた。 仏教が日本に伝わったのは6世紀半ばである。どんな形で日本に伝えられたのであろうか。お経が最初に来たのか。おそらく仏像がまず伝えられたのではないか。日本で初めて仏像を見た人はその微笑の不思議さに驚嘆したに違いない。こんな微笑をもつ仏像とは何なのか。その探求心が仏教を広める原動力になったのではないのか。慈悲の心をもった仏像の微笑は人の心を惹き付けて離さなかったに違いない。
和辻哲郎の「古寺巡礼」は古都奈良を訪ねたときに見た仏教美術品についての印象を熱く記したものである。専門はニーチェ・キルケゴールなどの哲学であるが、和辻は文化全般に渡って考察している学者である。たくさんの著書がある。 大正7年、まだ20代で学生であった和辻は仏像・建築物・壁画などの仏教美術品を思い切りみてやろうと友人たちと奈良を訪問する。そのとき書いた印象記が最初の「古寺巡礼」(戦後「古寺巡礼」はいくらか書き直されている)である。 訪問したところは新薬師寺・浄瑠璃寺・奈良博物館・唐招提寺・法隆寺・東大寺・中宮寺・法華寺などである。
「古寺巡礼」を読むとまず記が付くのが作者和辻の仏像などの仏教美術品に対する思い入れの深さである。仏教美術品が和辻には何物にも代えがたい宝物のように思ってしまう。まだ若かったせいか、かなり情熱を込めて印象を語っている。おおげさに感動もしている。特に、薬師寺の東院堂聖観音・中宮寺観音には手放しの褒めようである。感動をどう表現してよいのか迷っているようにみえるぐらい感動しているのである。 また、和辻は想像をたくましくして仏像の伝来について思いを馳せる。戦後、作家の井上靖・司馬遼太郎らが東西交流について作品を書いて、東西交流史が脚光を浴びた時期があった。大正時代にすでに和辻は東西交流について深い考察を行っていたことが読みとれる。 中東で起こった文明がギリシャに行き、そしてギリシャで文明が成熟するとインドへとその文明は伝播する。インドでは仏教と混交されそれがさらにヒマラヤを越えてシナの地へと流入する。さらに年月を経て日本へと伝わる。この流れを和辻は奈良の仏教美術品を前にして描くのである。この仏像は遠くギリシャの血が混じっているのだと思ったに違いない。 和辻は仏像を作った人間がどんな人かとも推測する。たとへば先に挙げた聖観音の作者を次のように推測する。
<聖観音を作った偉大な天才は、恐らく玄奘三蔵と関係のあるものであろう。あるいは玄奘に従って西域から来た人であるかも知れない。あるいは遣唐使に従って入唐し、玄奘のもたらした新しい文化や新しい様式に魂を奪われた日本人かも知れない。>
「古寺巡礼」は全編情熱がほとばしるような文で埋められ、読者の想像力を刺激してくれる。和辻の博覧強記にも恐れいる。西洋と東洋がこんなにも強くつながっていたかと驚かされる。
仏像の微笑は慈悲の心であり、そして永遠の美であると「古寺巡礼」は教えてくれる。 |